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三菱銀行人質事件の真相がヤバい!女子行員の肉の盾とその後

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ワイドショーを騒がせた凶悪事件があります。それは、「三菱銀行人質事件」。三菱銀行人質事件は現時点で3件しか起きていない、犯人が射殺された珍しいケースの事件になります。一体何が起きたのでしょうか?

 

猟奇と狂気の三菱銀行人質事件とは


三菱銀行人質事件ってなにパラ?

 


1979年(昭和54)1月26日に、大阪の三菱銀行北畠支店(現・三菱東京UFJ銀行)で発生した強盗殺人事件だ。解決には42時間を要したんだ。

 


銀行強盗の事件だったパラ・・・。

 


ただの銀行強盗やない。三菱銀行人質事件は多数の死亡者を出した日本でも稀な凶悪事件や。

 

三菱銀行北畠支店に強盗が入る


事件が発生したのは、1979年1月26日の15時頃。顔を隠してゴルフバックを背負った人物が、突然ゴルフバックの中に入れていた猟銃を二発、天井に向けて発砲したわ。

 


お客さんも銀行の人もびっくりするパラ・・・。

 


犯人は五千万円を要求してきた。「強盗だ!」そう思った男性銀行員が非情電話で通報をしようとしたけど、犯人が発砲・・・、第一の犠牲者になってしまった。この時点で即死ではなかったけど、治療が受けられずに死亡した。

 


銃は本物だったんやー!一気に銀行内が緊張感に包まれるでー!!

 


銀行にいた主婦が、危険を感じてとっさに銀行から逃げ出したわ。そして自転車警ら中だった警官に助けを求めたの。この警官は単独で銀行に乗り込んだわ。

 


でも、第二の犠牲者になってしまった・・・。

 


犯人は危険すぎるパラ・・・。

 


その直後に銀行からの通報で駆け付けた警官二人が突入したんや。二人とも撃たれてしもうた。

 


でも、一人は防弾チョッキで助かり生存できた。ただ、もう一人の警官は防弾チョッキを着ていなくて第三の犠牲者がでてしまう・・・。

 

銀行強盗から銀行立てこもり人質事件へ


犯人は梅川昭美。梅川昭美は銀行強盗の目的だったけど、思わぬアクシデントにより三菱銀行立てこもり人質事件へと変わっていく。立てこもり事件へと発展した三菱銀行人質事件は当初、お客12人・銀行員31人の合計43人が人質にされたぞ。でも、梅川昭美は親子連れと妊婦の4人はすぐに解放して、最初の時点での人質は39人になった。

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銀行のお客を少しずつ解放し始める


27日になると少しずつお客さんが解放され始めたわ。そして、ラジオ、食事、酒、栄養ドリンクなどが要求され始め、梅川昭美の母親も到着して説得を繰り返していたの。

 

これ以上犠牲者が出えへんように警察も必死や。同日の深夜には梅川昭美の目的だったと思われる借金の返済が警察の手によって完了したんや。

 


借金はなくなったパラー!観念するパラー!!

 


梅川昭美は観念しなかった。28日早朝に居眠りをしていた梅川昭美を、突入した警官隊が射殺したぞ。その場での即死じゃなくて病院で死亡したとされている。これで残忍な事件は解決した。

 


パラ・・・。梅川昭美は悪い人間パラ。どんな人間だったパラ・・・?

 


犯人の梅川昭美を見ていこう。実は、この強盗が入って解決するまでの銀行内では様々な恐怖が巻き起こっていた

 

三菱銀行人質事件を起こした凶悪犯の梅川昭美


犯人である梅川昭美が銀行の中でした行動があまりにも猟奇的であり、借金を返済するためだけの行動とは考えられないと言われているんだ。

 


ぬぉ?どういうことパラ?

 


多くの報道は、根本的な“借金返済”が目的だったと報じられている。梅川昭美も盗んだ車で現場に乗り込んだり帽子、サングラス、マスクで顔を隠したりしているけど、早い段階で逃走を放棄し立てこもりという手段にでた。三菱銀行人質事件を起こす計画を仲間に話していたときにも、逃走計画など細かい準備をしていたと言われている。これらの知識は元々の趣味であった読書から得たものではないかという憶測がされているんだ。

 


梅川昭美は自分を小説の中の主人公にしていたのかもしれないパラ。

 

梅川昭美の複雑な幼少期


梅川昭美は1948年に広島に生まれ、事件当時は30歳や。

 


梅川昭美は一人息子で、幼少期に両親が離婚をしているの。身体を患っていた父親に引き取られたけど、父親が家を継がなかったことから親族に疎まれ、それに堪え切れずに梅川昭美は家出をしたわ。家出をした先は母親の元。母親は息子の梅川昭美を養う為に朝夜問わずに仕事をしていたの。

 


母親が仕事で家に帰れない状態が続く。そして、梅川昭美は放任状態になった。小学6年生の頃で、大人しい目立たない子・内向的でひ弱だったといわれている。

 


中学生になると不良行動に走るようになるわ。喫煙や暴行での補導が常駐的になったの。

 


道がズレてきたパラ・・・。

 


高校に進学はしたけど、4ヶ月でオートバイクの窃盗が原因で退学処分になった。梅川昭美のズレた道を戻そうと更生をはかった両親が復縁したけど、梅川昭美は家を出て独り暮らしを始めたぞ。

 


両親は複雑パラー!

 

梅川昭美に三菱銀行人質事件の前兆が現れる


この頃に梅川昭美の危険な影がついに姿を見せたんや。

 


大きな事件が起きた。アパートの家賃と遊ぶ金欲しさという理由から1963年12月に以前アルバイトをしていた土建業者の家へ強盗に入ったんだ。そして、その家にいたアルバイト先の社長の義妹(21歳)を殺害してしまった。

 


悪魔の影がやってきたパラー!

 


この事件で梅川昭美は、指紋などが残らないように手袋を着用していたり、何度も下見をしたり、犯行先もアルバイトをしていた家を選ぶなどの計画性をみせているわ。これも小説などで知識を得た犯行のやり方だとみられているの。

 


梅川昭美が殺害した供述については、「(ナイフは)脅す為に持っていた」・「(金を取るのに)邪魔だから殺した」と言っている。でも、持ち込んだナイフの刃が折れるまでメッタ刺しにしていることから「脅すために持っていた」という供述からはかけ離れている。

 


梅川昭美の年は15歳や。ありえへんで。友達とサッカーしてる方が楽しいやん。野球してる方が楽しいやん。カルタもええで。あやとりでも楽しいやん。小さい頃に猟奇と狂気の小説ばっか読んどったから影響したのかもわからへん。名探偵コナンの工藤新一とは違ったっちゅーことやな。

 


15歳の梅川昭美は、山口の特別少年院送りになったわ。梅川昭美は「他の奴らはぬくぬくと暮らし、なんで俺だけが貧乏して苦しまないかん」と残しているの。審判が下り、「少年の病質的人格はすでに根深く形成されていて、容易に矯正しえないものである。少年が今後、社会に出れば同様の多種の非行を繰り返し、再び犠牲者が出る可能性があると思料される」。後に現実のものになってしまったわ。

 


20歳の頃には、牡丹と龍の入れ墨を入れるなどの行為をしていたものの、勤務態度は非常に真面目。そして、遅刻や無断欠勤もない。几帳面に仕事をこなして、正月などには多くのお土産を持って母親の元に帰り周囲に挨拶をするなど良い息子との評判を得ていた。

 


別人になったみたいパラ。三菱銀行人質事件を起こすとは思えない変わりようパラ。

 

貧しさが梅川昭美を再び染める


安定した生活をするのは難しいこと。勤め先の閉店による失業、次の仕事が上手くいかずに母親への仕送りもできなくなってしまったこと、そして年齢の焦り・・・。元々大きな借金を抱えていた梅川昭美だけど、30歳の誕生日を前に「俺もおふくろを心配させたらあかん歳や」・「15で殺しをやった。あれから15年目の30歳だ。ここらで一発でかいことをやらんとあかん」という言葉を残しているの。

 


1978年・・・、30歳パラ。梅川昭美にとっては節目と決意の年だったパラ。

 

梅川昭美の不可解な行動


梅川昭美は、三菱銀行人質事件を起こしてすぐに、通報しようとした銀行員の命を奪っている。その一方で、親子連れのお客や妊婦は即座に開放して、その後もお年寄りのお客や体調を崩したお客、女性のお客などを次々と解放している。でも、警察官や支店長にはためらいもなく命を奪う。そして、立てこもりの中で他の行員たちを励ましていた年長行員の命を奪おうとしたり、42時間の間に非道かつ狂気的な行動を繰り返している。

 


銀行員たちにお客さんを優先させるように指示したり、梅川昭美は、お客さんに対しては比較的親切な態度をとっていたの。つまり・・・・。

 


「他の奴らはぬくぬくと暮らし、なんで俺だけが貧乏して苦しまないかん」に繋がるパラー!!

 


うん、銀行員や警察官は給料も高くてお金を持っている恵まれた立場の人達というイメージが梅川昭美にあって、それと自分を比較したときに許せなかったからとった行動だと推測されるわ。

 


ここからも、強盗だけが目的じゃないことも察しがつく。

 

映画「ソドムの市」を真似る梅川昭美と耳


梅川昭美に撃たれたときにわずかに外れて死んだフリをした銀行員がいるけど、梅川昭美は別の銀行員に、「死人の耳を切る。あの儀式をするんや。恐怖の極致をお前らに見せてやる」といい耳を半分切り取らせたんだ。

 


死んだフリをしている銀行員パラ。生きているパラ。痛いパラ・・・。

 


ナイフを受け取った男子行員がとっさの機転で「もう、死んでます」と答えると、「お前らソドムの市を知っとるか。」とうすら笑いを浮かべた梅川昭美。「ならそのナイフでこいつの耳を切り落とせや。ソドムの市で死人の耳を切る、あの儀式をするんや。」と命じたの。

 


その切り取った耳を梅川昭美が受け取ると、一口かじってみせた。「まずっ」という言葉と共に吐き出したそうだ。この行為は三菱銀行人質事件の人質の更なる恐怖を煽ったといわれているぞ。要するに恐怖の植え付けだ。

 


三菱銀行人質事件の様な立てこもり事件の際に解決の糸口になるのはトイレ。外部と連絡をしやすい場所でもあるの。三菱銀行人質事件で梅川昭美はそれを知ってはいなかったみたい。後に銀行員と警察との連絡場になっていたわ。梅川昭美は、大きい方以外は全て目の届く範囲で用をさせていたから、人質たちはその裏をついていたの。

 


映画「ソドムの市」は猟奇と狂気が繰り広げられるグロテスクな世界を描いているそうだ。梅川昭美の行動はこの影響なのではないかと言われているぞ。カウンターの隅をトイレにしていたから、室内には異臭が漂っていた。それに加えて複数の遺体も腐り始めて死臭がしていた。

 


ホラーや。完全にホラーや。

 


そんな中でも梅川昭美は、ローストビーフやサーロインステーキを食べていたわ。完全なる狂気。

 

三菱銀行人質事件で起きた肉の盾と女性行員


梅川昭美の不可解な行動はまだあるわ。梅川昭美は狙撃されることを恐れていたの。銀行の周りには狙撃手が梅川昭美を射殺するために常に狙っている状態。

 


その為とった行動と言われているのが肉の盾と呼ばれる、人間を盾にして自分を守るという行動だ。

 


パラ・・・。狙撃できないパラ。

 


肉の盾をするなら、そのまま人を犯人の前に置けばいいけど、梅川昭美は違ったわ。狙撃を恐れていたにしてはおかしな行動をとったの。梅川昭美が三菱銀行人質事件で肉の盾として使用したのは全て銀行員の女性。そして、その女性たちに全部服を脱ぐように指示したの。脱ぐ順番を指定したり不可解な行動をとっているわ。その後に脱がせた女性行員たちが自分を囲むように配置させて、男性は上半身のみを脱ぐように指示を出したの。

 


脱がす意味がまったくわからないけど、梅川昭美は楽しみながらしていたという話もある。狙撃手に狙われている状態で楽しむ・・・。やっぱり理解不能だ。ちなみに、銀行員の女性に対してだけでお客の女性たちには何もしなくてよいといっている。そして、銀行員の中でも「片親のもんはいるか」と尋ねて手を挙げた一人は服を脱いで肉の盾になることから除外したんだ。

 


除外した銀行員の女性に対して「自分みたいな子を持ったら、母親としてどうするか?」と質問すると、銀行員は「叱ります」といったわ。この答えに梅川昭美は満足げに頷いたという話もあるの。

 

母を想う梅川昭美の影


梅川昭美は母親を愛していた。事件の最中、警察は切り札として梅川照美の母親と電話を繋ぎ、母からの説得を試みた。でも、梅川昭美はすぐ切ってしまった。今度は母から手紙を書き、女子行員に渡して読ませる方法をとったぞ。

 


すると、梅川昭美の心に少しだけ変化が出たの。「母が好きである」こと、「母を楽させたかった」ことを漏らしたの。肉の盾になっていた女子行員達に服を着てもいいと指示を出したわ。

 


母からの手紙は効果があったパラ。

 


梅川昭美はこの時点で友達や知り合いに電話をして別れを告げた。梅川昭美は射殺される覚悟をしたのかもしれない。

 

凶悪犯人 梅川昭美の死亡


ようやくタイミングがやってきたんやー!

 


機動隊7名が銀行内に突入したの。疲れがピークに達していた梅川昭美はウトウトしていたわ。油断していた梅川昭美は応戦することができずに、発射された8発の拳銃弾うち、3発を頭・首・胸に受けたわ。梅川昭美は突入した特殊部隊によって銀行内で射殺されたと言われているけど、その時点で息はあって、その後すぐに救急搬送され、病院で9時間後に右の頸部の貫通銃創が致命傷として死亡を確認。

 


ただ、救急搬送する際に担架を運んでいた捜査員の一人が転倒して梅川昭美が落下したことが原因で死亡したという説や、既に銀行内で即死していたという説も根強くある。

 

三菱銀行人質事件の真相とその後


あまりにも凄惨過ぎて報道や発表ができないこともあるの。どこからどこまでが噂で本当なのかということが曖昧にされている事件も多いわ。そんな中で、三菱銀行人質事件の真相を語ってくれた人がいるの。

 


三菱銀行人質事件の人質になった人の中で、真相を語ってくれた人がいるぞ。死んだふりをして耳を切り取られてしまった男性銀行員だ。事件から40年近くが経っているけど、三菱銀行人質事件のことは忘れられない記憶になっているそうだ。三菱銀行人質事件当時は47歳だった。三菱銀行人質事件が起こっている間はずっと家族のことを思い続けていたんだ。犯人に命令されて耳を切り取った男性行員のことをどう思うかという質問に、「恨みはない。彼も辛かっただろう」と語っている。

 


亡くなった巡査の相方である警察官は、三菱銀行人質事件が発生してから二番目に現場に駆け付けたわ。第二の被害者になった警官はパトカーで到着して二人で突入をして二人とも撃たれてしまったけど、当時のパトカーに防弾チョッキは一着しか載せられていなかったの。巡査と巡査長のうち巡査長がチョッキを着て三菱銀行人質事件の現場に踏み込んでいたわ。巡査は即死。

 


この警官はすごいで。警察隊が駆けつける中で梅川昭美は行員に銀行のシャッターを下ろすよう命じたんや。しかしやな、警官がとっさに近くにあった看板や自転車をシャッターの下に置いたさかい、40cmの隙間を残してシャッターが下りていなかったんや。シャッターの隙間を作る行為に成功してそこからはタイミングで一斉に撃ったってわけや。

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その後の銀行はどうなったパラ?

 


三菱銀行人質事件があった北畠支店では今でもこの悲劇を繰り返さないために強盗対策や立てこもりが起きたときの訓練が行われているぞ。警備員の増員や速やかな警察との連携などがとられている。現在の北畠支店(現・三菱東京UFJ銀行)現在も事件当時の場所に銀行はある。

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形も同じパラ。

 


事件から40年近く、当時の行員はもういないようだけど、建物は今でも健在。犯人を射殺することは日本では非常に稀なケースで、三菱銀行人質事件の他は、瀬戸内シージャック事件(1970年)と、長崎バスジャック事件(1977年)の3件だけ。

 


梅川昭美は幅広い書籍を読む中から「3分以内に強盗を終えれば逃げられる。」という知識を得たことも犯行に及ぶきっかけとなったと言われている。犯行は計画されていた。後に自主した友人と車を盗み、逃走までしっかり計画されていたんだ。でも、人を殺めてしまい制限の3分を超えてしまった。この時点から梅川昭美の思い描く小説は作られていったのかもしれない。